夏目漱石读后感

2017-08-17 名著读后感

夏目漱石读后感

私が高校生の顷から文学作品といわれる小说を読み始めてから、最初に、まさに心の底から感动した作品は夏目漱石の「こころ」であった。私の初めての漱石体験は「坊っちゃん」でも「三四郎」でも「吾辈は猫である」でもなく、「こころ」だったのである。「こころ」の読书体験が未来の私の行くべき道を决めたといってもいささか夸张ではない。私は将来ずっと文学と縁をもちたいとうっすらと思い描いた。「こころ」にはそれだけ人を动かす力があったのである。

しょせん高校生の私に「こころ」を本质的に理解できようはずはなかったが、私は魂を揺さぶられた思いがした。その后「こころ」の読后感と同じような経験をしたのはドストエフスキーの「罪と罚」を読んだときだ。なぜかこの2つの作品の読后感は似ていた。森鴎外・永井荷风・太宰治・トルストイ・バルザック・ゾラ・ディケンズなどを読んだときとは违う読后感を与えてくれた。おそらくこの2つの作品が人间の心の奥の奥に潜む魔物を追求しているからであろう。

「こころ」は上中下の3编からなっている。すなわち、上「先生と私」、中「両亲と私」、下「先生と遗书」である。上中は「私」の语りから构成されている。

「私」は镰仓の海辺で偶然「先生」と出会い、それ以来「先生」に惹かれて东京の「先生」の家にたびたび访なうようになる。

「先生」は学校の先生ではなく、どこにも勤めていない财产でもってそれなりに暮らしていけるいわゆる高等游民であった。「先生」には美しい奥さんがいた。

「私」は「先生」の家に出入りするようになって强く「先生」のことに関して兴味をもつようになる。それと同时に敬爱の念も増してきた。いつしか、「先生」の家の书生みたいな感じになっていった。「先生」が夜出かけて家を留守にするときなど、「私」は「先生」に呼び出され、奥さんの用心棒を命じられたりした。そのとき、「私」は奥さんから「先生」のことについて闻いた。奥さんによると、「先生」はあるときから人が変わったようになったと言った。先生は无口で暗い感じの人であった。

「先生」は月に1度、雑司ヶ谷の墓地に墓参りに行く。その墓には「先生」の友人が眠っている。「先生」はその友人のことについては「私」に一切话さない。「先生」は何か人に言えない秘密をもっているかのようである。

「先生」は孤独であった。「先生」は大学出ではあったがそれらしい友人もいなかったし、「先生」の家に访ねてくる人もほとんどいなかった。

「私」は大学を卒业しても就职先が见つからなかった。いそいで职を探さなければならないという立场ではなかったが、「私」の父が病でたおれてからそうはいかなくなった。「私」は田舎に帰り、父の看护をしながら、就职先の世话をしてもらうために「先生」に手纸を书いた。だが、「先生」からの返事はなかった。

そのうち明治天皇が崩御し、そして9月の御大丧の日、乃木大将が殉死した。

それから、数日して先生からたいへん分厚い手纸が「私」の许へきた。それは「先生」の遗书であった。「私」は家のものに内绪で停车场にかけつけ、东京行きの汽车に乗った。そして、汽车の中で「先生」の遗书を読んだ。下「先生と遗书」は全编「先生」の遗书である。この遗书には「先生」の秘密が书かれていた。

「先生」はある时期から自分の逃げ场は「死」しかないと悟っていた。他に逃げ场はなかったのである。なぜ、「先生」は逃げなければならなかったのか、それは友人を裏切った「自己」を否定したかったからだ。

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